こんにちは、恋愛セラピストの玉川(HaNA)です。
今回は私の人間不信の根っこを紹介します。
私はずっと、自分の人間不信の原因がわかりませんでした。
それは、原因が記憶に残る以前・・・生まれて間もないころだったからです。
今でも記憶としては思い出せませんが、色々な人の話を聞き、そこから当時の状況を想像して、
やっと見つけてあげることができました。
私が生まれて半年ごろのことです。
当時、私が寝ている間、母は、短い時間、買い物に行くことがあったそうです。
コタツの上にミルクを置いて出かけ、帰ってくると、そのミルクを一人で飲んで寝ていたこともあったそうです。
その状況を、私は想像してみました。
母が出かけ、幼い私は目を覚ました。
まずはきっと母の姿を探すでしょう。
・・・でも見当たらない。
まだ生後半年の子どもですから、きっと私は、泣いて母を呼ぶでしょう。
お腹空いた。
おむつが気持ち悪い。
さびしい。
恐い、助けて。
しかし、どれだけ泣いても、叫んでも、母はおろか、誰も来ません。
そして私は、
母の姿を求めたのか、
空腹に耐えられなかったのか、
自力で寝床をはい出し、
かろうじて手が届くコタツの上のミルクを見つけ、飲む。
お腹が満たされ、泣き疲れもあり、その場で、眠りにつく。
そんなことを繰り返していた・・・としたら。
それはまだ半年しか生きていない命にとって、
どれだけの恐怖か。
小さい体で、全力で泣き叫んでいるのに誰も助けてくれないのは、
どれだけの絶望となるか。
私はカラオケが大好きなのですが、ある一定の高音を出すのが苦手です。
その音程の上も下も出せるのに、そこだけが出せない。
ある日、その疑問が解決しました。
ボイストレーナーの先生に相談したら、その人はこう言いました。
『その音程は、子どもがオギャーって泣く音程ですね』
かつて、
助けを求めて、
愛を求めて、
力の限り泣き叫び続けて、
それでも望みが叶えられなかった悲しみ、恐怖、絶望。
そのツラさをもう味わいたくなくて、私はその音程で叫ぶことを止めたんじゃないだろうか。
そう思ったら、自分がその音程が出せないことが、とても納得出来ました。
私には、子どものころの記憶があまりありません。
どこの学校に通い、どんなことを学んだのか、『事実』としての記憶はありますが、
どんな気持ちで、誰と過ごしていたのか・・・『感情』の記憶がほとんどありません。
数少ない『感情』の記憶で最初に思い出すのは、
7才のとき、暗い部屋でふとんにくるまり、一人で月を見上げ、
「神様、みんなに迷惑をかけずに死ぬにはどうしたらいいですか。教えてください」
と、声を押し殺し、泣きながら祈っていたことです。
たった半年で、命を脅かすほどの恐怖や絶望を、
たった7年で、すでに死ぬことを望むほどの苦しみを、
私は背負っていたのです。
誰が悪かったのか、何がいけなかったのか。
今となってはわかりませんし、それを追求する意味もありません。
ただ、私は、それだけのものを背負いながら生きていた・・・それは事実でした。
・・・我ながらよく生きてきたなと思います。
だから、私は【生きる】ことに貪欲です。
恐くても、苦しくても、絶望に押しつぶされそうでも、
・・・とにかく生きる。
もしこの記事を読んでいるあなたが、本当に誰にも理解されない深い悲しみや恐怖、絶望に一人で悩んでいるなら、
まず【生きる】ことを自分と約束してあげてください。
生きる覚悟があれば、どんなことも乗り越えられます。
この記事を書いた人

- 心理カウンセラー
-
恋愛、友達関係を中心に、人間関係をテーマにしたカウンセリングを行う。
セッションの時間外、日常での中の取り組みを重視し、本人の基礎力をコツコツあげるスタイルに定評がある。
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