こんにちは。
心理カウンセラーの玉川です。
私は、運動はおろか、
一人で引きこもって、アニメ見て、ポテチ食べて、ごろごろするのが好きな、超インドアタイプです。
一方で、私の旦那は、
運動大好き、友だちみんなでワイワイ遊ぶの大好き。
一番好きな運動はスキー! シーズン中は、可能な限り毎週行きたい!!
みたいな、超アウトドアタイプ。
旦那は、基本的に私を、運動に無理やり誘うことはありませんし、私も「一緒に行きたい」ということはほとんどありません。
「友だちと、テニスに行ってきていい?」と旦那に聞かれれば、
「どうぞ、どうぞ! 私のことは、心配しないで!!」と私はウキウキしながら、
AmazonのFire TV Stickの電源を入れて、引きこもりの準備をはじめます。
そんな旦那ですが、唯一、スキーだけは「一緒に行こう」と、私を連れて行こうとします。
旦那と一緒に住み始めて、最初の数年は断っていたのですが、
ブーツも、板も、ウェアなどの道具一式を全部用意し、
ホテルやバス、車などもすべて手配し、
現地で教えてくれる人も呼び、
私は体一つあればいいというところまで、旦那がやってくれたのを見て、
「…そこまで、言う(やる)なら、行ってみようかな」
「そもそも、好きか嫌いか判断するほど、スキーやったことないから、一回ぐらいは行ってもいいかな」
と、気軽な気持ちで行ってみたのが、今から数年前の出来事です。
そして現在。
私は2019年の12月だけで、すでに2回、旦那と北海道へスキーに行くことになっています。
…いや、あのですね。
実は、数年前に、ほぼ初めてのレベルでスキーに行ったんですけども…
そこでびっくりするぐらい、スキーできなかったんですよ…。
まず、板をはいて歩けない。移動できない。
体がガチガチで転ぶことすらビビり、転んだら腰がひけて立てない。
それはもう、いい大人が無様なものでした。
そのとき思ったのです。
「このまま、もうスキー行かないって言ったら、『できない』から行かないって言ってるんだなって思われてしまう…」
「どうせなら、人並みにできるようになってから堂々と『ふふん、私は、インドアのほうが好きなのよ』って引きこもりたい!!!」
という、無意味なプライドと、
「基本的に、なんでも好き勝手やらせてくれる旦那が、あれだけ「行こうよ」と誘ってくるんだから、できれば叶えてあげたいよね」
という、旦那への想いから、
『人並みにできるようになるか、私が心底イヤになるまで、続ける!!』と。
これは、あきらかにマニア好みのやり方で、
心の底からオススメしませんし、
ぜひ参考にしないで欲しいのですが、
私にとって、スキーは肉体レベルのトラウマ治療にも、ちょうどよかったんです。
まず寒さ。
冷えた空気の中にいるだけで、なんとも言えない怖さが増し増しで、「恐怖」を取り扱うのにいい練習になりました。
それから、自然相手ということ。
初心者用とはいえ、リフトで登ると、基本的に自分で降りないかぎり、帰ることができません。
「あー。怖い、イヤだ、帰りたい」
「なんで、登っちゃったんだろうなぁ…あぁ…もう…」
泣こうが、わめこうが、後悔しようが、そこにあるのはただ一つ。
『自分で降りなきゃ、帰れない』
不本意だと、しぶしぶ降りようもんなら、痛い目をみるので、イヤでも目の前の現実に集中しなければいけません。
そういう、いい意味でのあきらめから、頭を切り替える練習にもなりました。
他にも、限界状態になりやすいのをいいことに、今でも心理的なノウハウを試しています。
私が、そんなアレコレを試していることは、旦那は知りませんが、
「…そろそろ、こっちの板に変えない?」
「今日は新しいブーツね」
と、ちょいちょい、私のスキー環境を変えていくので、
その度に、
「ちょ、まじ!? やっとこの板で、バランスとれるようになったのに!?」と、
新しい環境に適応する練習に集中することになり、それがまた新しいトラウマ治療体験になっていきます。
そんなこんなで数年過ごしていますが、
今なお、
「寒いところは怖いし、イヤだし、
でも、できるようになってからやめたいし、
でもでも、やめるっていったら、旦那悲しみそうだし、
そもそも、運動したくないって、実はトラウマなんじゃね…?」
みたいなことを、ごちゃごちゃ考えながらリフトにのって、
『ま、いっか。とりあえず、ふもとに降りよう』
『とりあえず、お昼のビーフシチューセット食べてから考えよう』
と、スキー場で過ごしています。
私がスキーを通して、やっていることは、
基本的に、いい意味で「あきらめる(受け入れる)」練習でもあります。
寒いのがイヤでも、今いる場所は寒いので、寒いと受け入れる。
やめたいけど、できずにやめるほうがイヤなので、「できないままやめる」ことをあきらめる。
トラウマのせいにして運動できないと言ってても、ふもとにおりられないので、「トラウマのせいにする」ことをあきらめる。
みたいな感じです。
このいい意味で「あきらめる(受け入れる)」ことを説明するときに紹介する本の一冊が、
諸富祥彦さんの「人生を半分あきらめて生きる」です。
いつも紹介する本はノウハウ重視なのですが、この本は哲学書的な傾向が強いです。
読む人を選んでしまう本ですが、
「あきらめてもいい」というキーワードに、何かピンとくるものがあれば、お役に立つ本かもしれません。
よかったら、参考にしてみてください。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
この記事を書いた人

- 心理カウンセラー
-
恋愛、友達関係を中心に、人間関係をテーマにしたカウンセリングを行う。
セッションの時間外、日常での中の取り組みを重視し、本人の基礎力をコツコツあげるスタイルに定評がある。
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