何かが足りないような気がするけど、何が足りないのか、正直よくわからない。

「自分の幸せがわからない」
「自分が、何をしたいのかも、わからない」
「毎日、何をがんばればいいのか、わからない」
「実はもう幸せなのかもしれないけど、それもよくわからない」

不安なのか、
怖さなのか、
退屈さなのか、

とにかく、よくわからないけど、
漠然とした、むなしいような感覚。

誰かに説明しようとしても、
うまく説明しきれなくて、
よくわからない不完全なもやもやで終わる。

こういう感覚が、ずっと消えないとき。
それは、その人が『限界を超えて、誠実に生き過ぎている』ことがあります。

 

誠実に生き過ぎている

誠実に生き過ぎているとは、

家庭、職場、友達関係などで、

「やさしい人」になりすぎてしまっている。

「いい子」ポジションから抜け出せなくなっている。

「いい人」でありすぎてしまっている。

言い換えれば、

イヤだなと思ったときに「イヤだ」と言っていない。

ツラそうにしている「かわいそうな人」を、「自分とは関係ない」と見捨てられない。

誰かを助けたときに「見返り」を求めない。

などなど、

『人間として、すばらしい人』になっているということです。

実は、

『人間としてすばらしくあろう』
『誠実であろう』
『やさしい人であろう』

ということを、やりすぎてしまうと、心の中にはむなしさがたまりやすくなります。

 

誠実であるかわりに「幸せを感じる」部分を無視している

「誠実である」ことは、決して悪いことではありません。

でも、人間には必ず「誠実ではない部分」が存在します。

その「誠実ではない部分」こそが、

『幸せを感じる』部分であり、
『私は、こういうことをしたい!』と叫んでいる部分なのです。

「やさしい人」は、やさしいので、

他人の「私、こうしたい!」を優先し、自分の「私、こうしたい」を無視します。

他人の「助けて」を優先し、自分の「めんどくさいなぁ」を無視します。

他人の「これがいい!」を優先し、自分の「私もそれがいい!」を無視します。

「自分の好きなもの」より、

「みんなが好きなもの」「みんなの迷惑にならないもの」、無難なものを選びます。

そうやって自分を犠牲にしているにも関わらず、誠実なものだから、

「私は、誠実なんかじゃない」
「自分勝手で、ワガママなんだ」
「もっと、がんばらなくちゃいけない」

と、自分に言い聞かせ、その誠実さを加速させようとします。

自分の好きなもののかわりに、みんなが好きなことを選ぶ。
自分のやりたいことのかわりに、みんなの迷惑にならないことを選ぶ。

それは「みんな」のためだけに生きているのと同じこと。

そういう人生なら「生きてて楽しくない」「失っても惜しくないかも」と感じるのは、当たり前です。

 

 

 

 

誠実じゃない自分を取り戻すには

やさしくない人は「自分はやさしくない」と悩んだりしません。

誠実じゃない人は「私って、ほんと誠実じゃないなぁ」なんて考えません。

がんばっていない人は「私、もっとがんばらなくちゃ!」なんて思いません。

「相手に見返りをもとめるなんて愛じゃない」という言葉もありますが、私たちは神様じゃないのです。

同じ人間同士なのですから、見返りを求めたいと思うことは、フツーのことです。

もし、今抱えている「漠然としたむなしさ」が、このパターンだった場合は、「誠実じゃない自分を取り戻す」ことがテーマとなってきます。

基本的には「誰にも迷惑がかからない、その人だけが楽しめる時間」を増やしていくことがいいのですが、かなり個人差がある内容なので、カウンセリングなどで相談し、自分にあった方法で具体的に取り組むことをオススメします。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

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